秒針が刻む音以外


「ああ。山田風太郎の『人間臨終図鑑』って、知ってる? 歴史上の著名人の死に方を集めた本なんだけど、なかなか面白いよ。こないだ本屋で買ってきたんだけど、最近、ちょっと凝っててね。人が、どんな風に一生を終えるかっていうことに」
「こっちは、面白いどころじゃないわ」
「うん。面白いって言ったのは、失言だったかな。ただ、『死』っていうのは、どう考えても、人生最大のイベントだと思うんだ。だったら、目をそむけるよりも、しっかりと直視すべきじゃないかな。その時に、いったいどういうことが起こり得るのか。我々は、それに対して、どういう行動がとれるのか、とか」
 早苗は、怒るタイミングを逸してしまっていた。まるで冷水を浴びせられたように、腹立ちは引いてしまっている。
 彼女は、空の食器とスパゲッティの入っていたボウルを台所に持っていきながら、高梨は、いったいどうしてしまったのだろうと考えていた。
 アマゾンへ発つ前の彼は、明らかな死恐怖症《タナトフオビア》の兆候を示し、死を連想させる物事に対して過敏に反応していた。だが、今晩の、この無神経さはどうだ。人の死をまったく興味本位にとらえているのが、早苗には解せなかった。
 居間にコーヒーとミルフィーユの載ったトレイを持っていくと、高梨は椅子《いす》の背にもたれて、ぼんやりと天井の方を見上げていた。
「どうしたの?」
「聞こえる」
「何が?」
 早苗は耳を澄ませてみたが、壁に掛かった時計のに、どこからも、何も聞こえなかった。
「『天使の囀《さえず》り』」
「何のこと?」
 早苗は、テーブルにコーヒーとデザートの載った皿を並べながら聞いた。
「八時半か。普通は、もう少し早いことが多いんだけどね」
 高梨は時計を見て、呟《つぶや》いた。
 早苗は当惑した。彼が何を言っているのか、まったく理解できない。
「いったい、何のこと?」
「うん。最初は、まず、羽搏《はばた》きの音が聞こえるんだよ。だんだんに周りに集まってくるような感じで。それから、今度は囀りが聞こえ出す。ほら……今!」
 高梨の様子は、とても冗談を言っているようには思えなかった。幻聴が聞こえているのだろうか。
「私には、何も聞こえないわ」

この記事へのコメント