良く知られたもので言えば古代ギリ中五數學シャ時代の「ゼノンのパラドックス」。
彼が説いたところによれば、
「足の速いアキレスと亀が競争した。だけどいくら走ろうとアキレスは永遠に亀に追いつけない」
というもの。
「パラドックスには、正しそうに見える前提があり、
それに対して妥当に見える推論を加えると、
まったく受け容れがたい結論が導き出される」もののことを言う。
「ゼノンのパラドックス」をこれに当て嵌めてみると、
(前提)アキレスは足が速いので、ある地点まで距離を縮めることができる。
(推論)アキレスが、ある地点まで行ったとき、亀は、その地点より進んでいる。
(結論)これの繰り返しとなるので、永遠にアキレスは亀に追いつけない。
結論は受け容れがたいものになる。
こうなるのは、一見正しそうに見える「前提」や「推論」に、
ウソや誤謬(ごびゅう)などの無理があるところから来ているようだ。
これを当節のアベノミクスと比較すると、
(前提)今まで緊縮財政で萎縮してしまっていた経済を財政出動で活性化させる。
(推論)これにより株価が上がり、企業の業績も上がる。
(結論)企業に富が生まれると、給与がアップし、それが市中に流通し経済が活性化する。
結論は受け容れがたいと言うより、むしろ、ホントにそんなにうまく行くの?
というところだろう。
パラドックスの中で、ほかに有名なもので言えば、
「エピメニデスのパラドックス」と呼ばれるものがある。
それは、『クレタ人のエピメニデスが「クレタ人はすべてウソつきだ」と言っている』
というもの。
クレタ人がすべてウソつきだとするとエピメニデスもウソつきとなる。
そのウソつきが「クレタ人探索四十 邪教はすべてウソつきだ」と言っているのは、ウソ?
それともホント?
こんなことを考えていると夜も眠れない。
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