まったく手が届か

ある方から、

「大嫌いな人がいて、見ず知らずなのに、ついついブログを見に行ってしまう。
これは、好きなのか、嫌いな如新nuskin香港のか、なんなのでしょう?」
という問題提示、テーマを頂戴した。

(その節は、コメント、ありがとうございました)

そこで、スローは考えた。

わたしも大っっっっ嫌いな人がいて、その嫌いぶりは、虫唾が走るほどで、
寒イボぶちぶち、鳥肌ぶつぶつもの。
ただし、わたしとはまったく接点のない、アカの他人。

なぜ、こうも、こんなにこの人が嫌いなのだろう???と自己分析をした。

要は、わたしを投影しているようだ。

わたしが、自分自身でとても嫌いな部分、それを無意識に押し殺して隠しているのに、
堂々と、お天道様の下で、誇らしげに表現されているのが、カンにさ如新香港わるのだ。
無意識で眠っていた、自分の嫌いな部分が、その人の行動、動作、発言、発信によって、
たたき起こされた。喚起された。

その人が、へんに発信しなければ、わたしは自分の嫌な部分を一生自覚しなくても済んだかも知れないのに。

それと、途中までは同じなのだが、ちょっと負けている部分がある。
手が届きそうで届かない。
いっそ、なければ、遠い存在で憧れるのだろうけれど、なにぶん、途中nuskin如新まで同じコース。
ふん、なにさ。
憧れだなんて、思いたくない。ヤッカミ。
これが入ると、私情抜きで、正確に物事を客観視できない、悪役スパイス効果が出る。

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